遺跡の位置

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 御所ヶ谷神籠石は京都平野の南部を東西に連なる山並みの一角に位置し、城域は行橋市と京都郡勝山町、犀川町にまたがる。眼下に広がる京都平野は、大型古墳の分布から豊の国の中心と考えられており、また、瀬戸内海を介して九州の他地域に比べ畿内勢力との結びつきが強い。
 神籠石の北麓には大宰府と豊前国府を結ぶ官道が東西に走り、南麓も筑前と豊前を結ぶ重要ルートである。東へ五キロメートルほどに豊前国府や国分寺が位置し、北方約七キロートルには古代の瀬戸内海航路の要港草野津がひかえる。このように御所ヶ谷神籠石は豊前地域の中枢でかつ、陸路と海路を睨(にら)む戦略的要地に位置する。
 また、正倉院の豊前国戸籍断簡からは、秦氏を中心とした多数の渡来系の部民集団がこの地に存在したことがうかがえる。
 
写真10 御所ケ谷神籠石の列石と土塁
写真10 御所ケ谷神籠石の列石と土塁