大宝二年(七〇二)の豊前国戸籍断簡には上三毛郡塔里、上三毛郡加自久也里と仲津郡丁里の三つが記されている。
上三毛郡塔里は現在の築上郡大平村唐原付近に比定されている。戸籍には男六四人、女六五人の名が記されている。その内訳は表8を参照していただきたい。秦部と勝の姓を持つ者が約九六%を占めることがわかる。
上三毛郡加自久也里は『和名抄』によると上毛郡炊江郷の地であり、現在の豊前市大村および八屋付近に比定されている。戸籍には男三一人、女四三人、奴婢一二人が記されている。家族の人数は八七人、二七人、一六人の三戸が記されている。ここでも秦部と勝の姓を持つ者が大多数であり、約七四%を秦部と勝の姓を持つ者が占める。
仲津郡丁里は直接的に『和名抄』の郷名と結ばれるものはない。ただし、勝姓に見える阿射弥勝は「仲津郡呰見郷」に関係すると思われ、現在の豊津町呰見付近に比定されている。高屋勝は「仲津郡高屋郷」に関係すると思われ、現在の犀川町下高屋付近に比定されている。狭度勝は「仲津郡狭度郷」に関係すると思われ、現在の築城町上城井付近に比定されている。このことから、仲津郡丁里は仲津郡を中心とした地域に比定できる。ここでも秦部と勝の姓を持つ者が大多数であり、約九五%を秦部と勝の姓を持つ者が占める。