大宝二年の豊前国戸籍断簡には秦部と同様に勝の姓を持つ者が大多数を占める。ここでは勝の姓を持つ者すなわち勝姓者について説明することにする2。
まず、勝姓者の氏族名を表示すると表9のようになる。
勝姓者は表8・1の勝のように、カバネの「勝」がそのままウジ化したもの、41のように秦氏の一族で、「秦」の氏名を負うものを除くと、ほかはすべて地名をウジとする。その多くは郷名(里名)によっている。このことから在地型性格の強い氏族であることがわかる。では、豊前地方における勝姓者はいかがであっただろうか。そこで、大宝二年(七〇二)の豊前国戸籍断簡と『和名抄』と比較することにする。
表10が示すように大宝二年豊前国戸籍にみえる勝姓者も郷名をウジとしていることから、豊前地方においても勝姓者は在地型性格の強い氏族であることがわかる。
また、「勝」は秦氏や秦氏と結び付く渡来系氏族に与えられたカバネ(称号)であり、さらに勝姓者の分布と秦人・秦部の分布とはかなり重複することを指摘されていることから、秦氏-勝姓者-秦氏の支配下集団というように、勝姓者は各地に置かれた秦氏の支配下集団を領率する在地的伴造の地位にあったと推定することができる。