国分寺の創建古瓦

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 現国分寺には早くから多くの軒先瓦が所蔵されているが、その中には近傍の上坂(かみさか)廃寺所用瓦なども含まれていて、奈良時代から平安時代に及ぶ数種類の組み合わせがある。幸い、近年築城町船迫(ふなさこ)瓦窯の調査から、同窯跡で豊前国分寺の創建期瓦が生産されていることが確定した。そして従来不確定であった軒先瓦の組み合わせが明確になった。すなわち、複弁七葉軒丸瓦と忍冬(にんどう)唐草文軒平瓦、さらに大宰府系鬼面文鬼板瓦を棟先に使用するという基本型が確定したのである。
 
写真25 堂がへり1号窯跡(築城町)出土豊前国分寺の創建古瓦
写真25 堂がへり1号窯跡(築城町)出土豊前国分寺の創建古瓦

 軒丸瓦の瓦当文は鴻臚館系の系譜をひくかと思われるが、七弁という表現には宇佐地方の寺院古瓦との関係も考える必要があろう。というのは、軒平瓦の瓦当文が宇佐地方に流行した法隆寺系忍冬唐草文の最変化型であることも考慮されるからである。このほか細弁一九弁軒丸瓦、老司系扁行(へんこう)唐草文軒平瓦、百済系単弁八弁軒丸瓦、新羅系扁行唐草文軒平瓦など、大宰府系、朝鮮系古瓦に系譜がたどられる点は、豊前地方の古代仏教文化を研究する上に重要な視点を提供している。
 
写真26 豊前国分寺の創建古瓦
写真26 豊前国分寺の創建古瓦