奈良・平安時代の人々は、どのような建物に住んでいたのだろうか。この時代は、住居構造が、竪穴式住居から平地式住居へと移行しつつある頃であった(図48)。古代集落の建物は竪穴住居、平地式住居、そして掘立柱建物などの高床式倉庫で構成されていた。当時の一般庶民の多くは、前代以来の竪穴式住居に住んでいた。おおむね五メートル四方前後を深さ数十センチ~一メートルほど掘り込んで床とし、柱を立て、屋根をかけた半地下式の竪穴式住居であった。内部の壁際にはカマドが設置されていた。竪穴住居に加えて、平地式の掘立柱の住居も普及する。発掘調査で検出される遺構から見ると、一般の人々の平地式住居は、床面積が二〇平方メートル前後が一般的であったようである。屋根・壁は草で葺かれ、土間敷きで、地面の上に草・筵(むしろ)などが敷かれていたと推定される。裕福な人々になると、板張りの床で、板材で壁をつくることがあったようである。宮本長二郎氏によれば、古墳時代以前と比べると奈良・平安時代の竪穴住居は、全般的に小型であるとされる。「小型竪穴住居の集落が多く現れはじめるのは古墳時代後期以降であるが、奈良時代に入って掘立柱住居が一般の集落に進出するようになると、それまでの大・中型竪穴住居にとって代わり、竪穴住居は付属屋として、あるいは寄人・下人らの住居として被差別的に扱われて、さらに小型化の傾向が進んだものと思われる」(宮本長二郎「第十一章 歴史時代の住居」『日本原始古代の住居建築』中央公論美術出版、一九九六)。