金属生産

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 律令体制の下では、工房を設置し、工人たちが集められ、鉄や銅の金属製品が生産される場合がままみられた。
 『令』の『賦役令 第十』に次の規定がある。
 凡調絹 糸綿布。(中略) 鉄十斤、鍬三口。
 正丁一人につき、鉄十斤、鍬三口というもの。
仮に、豊前国仲津郡丁里の丁勝馬手の戸の場合
 馬手・巻手・小手
という「正丁」が三人いる。
 六・七五kg×三=二〇・二五kg
 よって約二〇キログラムの鉄地金(てつじがね)および鍬九個を納める義務がある。鉄の原料が手に入る状況と製鉄技術がある集落であったならば、可能な賦役(ぶえき)だったと推定されるが、すべての集落が鉄を産することが可能だったとは考え難いので、鉄生品の貢納は郡単位程度で行われたと推定される(小田和利「製塩土器からみた律令期集落の様相」九州歴史資料館『九州歴史資料館研究論集21』 一九九六)。
 北九州市・尾崎遺跡で奈良時代の製鉄に付随する焼土坑と集石土坑が検出されている。鉄滓(てっさい)を多く出土。福岡県東部地域では松丸遺跡(製鉄・七世紀中頃~八世紀)、広幡(ひろはた)遺跡(鍛冶・古墳~奈良時代)、赤幡森ヶ坪(あかはたもりがつぼ)遺跡(鍛冶・奈良~平安時代)といった砂鉄系原料の古代製鉄関連遺跡が知られる。市内では行橋市南泉で調査された八世紀の銅製品の鋳造遺構と考えられる寄原(よりばる)遺跡・2号竪穴が知られている。銅製品の鋳造に使った取鍋(とりべ)の破片が出土している(図52)。取鍋の底に付着していた銅粒が純銅であったという分析結果が得られている(『寄原遺跡・長者原遺跡』福岡県文化財調査報告書第一四六集、福岡県教育委員会、二〇〇〇)。
 
図50 椿市廃寺出土鞴羽口実測図
図50 椿市廃寺出土鞴羽口実測図(1/3)

図51 精錬炉の復元図
図51 精錬炉の復元図

図52 寄原遺跡の製銅関連遺構(寄原遺跡・2号竪穴)
図52 寄原遺跡の製銅関連遺構(寄原遺跡・2号竪穴)

写真27 香春岳
写真27 香春岳

写真28 長登銅山跡・大切山4号坑口
写真28 長登銅山跡・大切山4号坑口

図53 長登銅山跡出土木簡
図53 長登銅山跡出土木簡
木簡3 ×□〔令カ〕木 床石 豊□〔前カ〕□ 豊□(210)×22×3 6081 檜・板目
上端折損,下端は左右から切断,左辺は割截。帳簿様の木簡で,「豊□(前カ)」と読めると,長門国採銅・製錬施設と豊前国採銅・製銅施設との関連性を示すことになる

図54 古代の産銅国と産銅遺跡
図54 古代の産銅国と産銅遺跡