焼き物には様々な種類があるが、奈良時代には須恵器と土師器が主要な器として使用されていた。須恵器や土師器は調(物で納める税の一種)として、各地から京へもたらされている。須恵器窯は、筑前では、大野城市・春日市・太宰府市に分布する九州最大規模の「牛頸古窯跡群」が著名で、大宰府周辺に供給されている。六世紀に始まり、平安時代の九世紀前半まで生産が行われていたとされる。一二世紀の土器生産は、土師器から瓦器という器の普及が、より還元焔焼成(かんげんえんしょうせい)ができる『煙管状窯(えんかんじょうがま)』への焼成方法の変遷を促している。
律令制が機能していた奈良時代頃は人を単位として税の徴収が成り立っていた。平安時代中頃には、律令制が緩みだし、農民の逃亡の多発、一人ひとりの把握が困難といった事態をむかえる。租税徴収単位は人から土地へと転換せざるを得なくなってくるのであった。