誕生にまつわる習俗である胞衣壺。胞衣というのは、母親の胎内で子供を育んだ胎盤(たいばん)のこと。胎盤は後産(あとざん)ともいわれる。胞衣を、容器に納め特定の場所に埋めた風習は、縄文時代にはすでに見られ、近代まで続いてきた。この胞衣を埋納する風習に関しては、人に踏まれる場所に埋めると良い、踏まれるほどその子供は丈夫でよく育つ、などの民俗の言い伝えが知られる。生まれた子供の長寿を祈願した習俗である。奈良時代の胞衣壺の風習は、埋納品の種類、埋納方法の面で、中国の影響を強く受けている。唐に倣(なら)った律令体制のもと、執務は文書主義であった。胞衣に銭・筆・墨を添えるのは、筆や墨が官人の象徴であることからきているとされる。墨や筆は官人としての出世を願ったと考えられている。
旧豊前国仲津郡域では、豊津町の徳永川ノ上遺跡C地区出土の胞衣壺の例がある。壺部分は土師器で、蓋部分は土師器の皿。年代は八世後半代のもの。墨には『黒忍足』という工人の銘がある(図59)。