これまで行橋市域では住居跡に伴う祭祀遺物は発見されていなかったが、最近になって六~七世紀代の集落遺跡の発掘調査によって、にわかに住居に伴なう祭祀遺物の発見事例が急増してきた。現在まで次のような遺跡と遺物がある。
渡築紫(とつくし)C区1号住居跡 滑石製子持勾玉片一
2号住居跡 滑石製子持勾玉 一
3号住居跡 滑石製紡錘形玉 一
7号住居跡 滑石製子持勾玉 二
9号住居跡 滑石製子持勾玉二・同製勾玉一・同製動物形?玉一
23号住居跡 土製模造鏡 二
代(だい)遺跡ⅡC区23・24号
住居跡上層 粘板岩製勾玉?一玉類
出土遺構 土製勾玉四・同製丸玉四
天生田(あもうだ)・矢萩住居跡 蛇文岩製勾玉 一
渡築紫C区の住居跡群のうちの数軒から滑石製勾玉が発見されているが、平板状滑石の側面を削って、湾曲部に一個の小勾玉を付属させた子持勾玉である点が注意をひく。通じて一個保有しているが、7号と9号住居跡では二個以上を保有している。共伴した土器から六世紀後半から末頃にあたる。最も整ったものでは、勾玉の背や両腹面に二~三個の小勾玉を付属しているのに対して、簡略化された段階のものである。収穫の多福増産を願うのが本来の意趣であるといわれている。土製模造鏡は一般にみられるものに比べてやや大形品である。一家への避邪と神の加護を願ったのであろうか。
代遺跡で発見された土製の勾玉・丸玉などの模造品は、住居跡の外に一括埋納された遺構があったようで、集落内の祭祀遺構の存在が考えられる。須恵器杯片などが共伴していて六世紀末から七世紀初頃と判断された。住居単位の祭祀と集落関係の祭祀の二者が想定される。