宇佐宮と安楽寺(太宰府天満宮)は九州の二大荘園領主として知られている。宇佐宮領は九州全域に存在し、中でも豊前国には最も濃密に分布していた。「八幡宇佐宮神領大鏡」(以下「宇佐大鏡」と略す、到津文書四六八号『大分県史料』二四巻)によると、宇佐宮荘園は成立事情によって、大きく三つに分類される。
①十郷三庄。奈良時代に比咩神(二御殿)に与えられた封戸(ふこ)六一〇戸(『新抄格勅符抄』神封部)と、天慶の乱の平定報賽(ほうさい)三〇戸を加えた六四〇戸が荘園化したもの。豊前・豊後・日向の三国七郡に所在し、田数は二七五二町一反である。
②本御荘(ほんみしょう)一八ヵ所。宇佐宮に与えられた位田・供田・御料所と呼ばれる田地が、公田と混乱してくるようになったため、神田と公田(こうでん)(国衙領)を交換し、まとまった田地として与えられ、荘園となったものである。豊前・豊後・筑前・筑後・肥前の五ヵ国に所在していた。
③国々散在常見名田(つねみみょうでん)。各国に散在し大部分が開墾地であるが、一部寄進地も含まれる。国に一部の税を納める半不輸の地であったが、後に不輸権を獲得した。薩摩・大隅両国を除く鎮西七ヵ国に散在し、郡・郷・名・別府・村・町・山・社で表示された。