行橋市の北方に臨める普智山は水晶山(五三一・二メートル)から南に延びる山塊の一つである。苅田町山口にある等覚寺(とかくじ)は、英彦山豊前坊を中心とする修験霊山“豊前六峰”の一つである。白山多賀神社(旧白山大権現)(標高三〇四・二メートル)はその故地で、平成六~七年(一九九四~九五)にその南前面に在る山王権現社周辺が発掘調査され、九世紀代を中心とする須恵器・土師器の杯・椀・皿・蓋などのほか若干の九~一〇世紀平瓦が発見された。しかし古代の遺構については不明である。すでに削平されたと考えられている。
また従来等覚寺出土と伝える銅製経筒二口があるが、そのほかにもう一口寛治八年(一〇九四)銘のものがあったことが知られている。江戸時代の記録では社殿の裏を切下げた際に発見したと伝え、現存する二口は県指定考古資料となった。また中国宋代の湖州鏡一面もこの近くから発見されている。苅田町、行橋市域の人々の直接的信仰の対象となっていたであろう。