埋経の意義

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 経塚とは仏教経典を書写供養したのち地中に埋納した遺跡をいう。多くは小さな土盛り塚をなし、その上に石塔や石碑を建てた場合もある。神社・寺院の境内、小高い丘の上、山頂・山腹などに営造されている。内部には経典を納めた容器―多く蓋(ふた)を被せた銅製容器であるが、これをさらに陶製の外容器に収める場合もある。また副納品として銅鏡・合子(ごうす)・刀子(とうす)・銭貨など、まれに仏像・仏具などが収められる場合もある。
 埋納経の種類には墨書紙本(ぼくしょしほん)経巻が多いが、極上品として紺紙金(こんしきん)(銀)泥経(でいきょう)もある。また特殊品として銅板経・瓦(が)経・滑石経・青石(あおいし)経・一字一石経・貝殻(かいがら)経などがある。
 地中埋経の思想的由来は主に末法(まっぽう)思想の高揚に求められている。釈迦如来(しゃかにょらい)が入滅してから、その教法は正法(しょうぼう)-像法(ぞうほう)-末法と推移してゆき、ついには教法すら全く行われない末世をむかえるという思想である。釈迦入滅後一〇〇〇年間(五〇〇年説もある)は教・行・証がそなわった正法の時代で、修業によって証果が得られる。つづく像法は、一〇〇〇年を修業しても証果は得られない。やがて末法到来の世を迎えるが、釈迦入滅から五六億七〇〇〇万年が過ぎると、弥勒菩薩が第二の釈迦としてこの世に再来(弥勒下生(げしょう))し、竜華樹(りゅうげじゅ)のもとで三度にわたって説法して衆生を救済する(慈尊出世三会(じそうしゅっせいさんえ)説法)と『弥勒下生経』に説かれている。その時にあたって埋納した経巻が自然に涌出(ゆうしゅつ)して会衆を随喜させるところに埋経の意義がある。