写経の形態

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 最も普遍的な写経は紙本(しほん)経である。八巻と一〇巻(法華経八巻と開巻=観普賢経・結巻=無量義経の二巻)または八巻分をまとめて一巻とした墨書経巻である。瓦(が)経は縦二四センチ前後、横はややせまい粘土板に罫(けい)線を引き経文を刻む。一般に一行一七字詰めで一枚一〇、一二、一五行で表裏に刻む。銅版経は縦二一センチ、横一八~一九センチ、厚さ二ミリほどの鋳造銅版に三〇行前後の罫線を引き、さらに横線で上下二段に区分する。各段一行一七字詰めが普通である。現存するものでは、三三枚構成の豊前市求菩提山(康治元年=一一四二)、三七枚構成の豊後高田市長安寺(保延七年=一一四一)がある。また記録では添田町英彦山にも久安元年(一一四五)に奉納されている。これら銅板経はまとめて仏画などを刻んだ銅筥に納められている。瓦経にみられる仏画板も瓦経の外郭を構成するものであった。瓦経が筑前・肥前地域に分布するのに対して、銅板経は豊前・豊後地域の山岳信仰遺跡と関係している点に特色がみられる。滑石経は湾曲した滑石板を同心円状に重ね、外側の大円弧から内側の小円弧の順に法華経を刻んでゆくもので、瓦経の一変型であろう。筑後市若菜八幡宮裏山例が知られている。一字一石経は平安時代末期に流行した小塔三〇万基供養のような数多いことを功徳多しと尊んだ信仰の亜流である。費用の軽減と、一人一字一石として七万二千余人が結縁できるという考え方に拠るもので、中世末から近世に流行した。