中世において一国内の土地制度は、国衙(こくが)の支配下におかれる郡や郷などの公領(こうりょう)と、貴族や有力寺社といった権門勢家(けんもんせいけ)を領主に仰ぐ荘園(しょうえん)から構成されるのが一般的であった。こうしたあり方は、平安時代後期から院政期にかけて、公領を浸食する形で広く荘園が成長したことに起因している。この段階で生み出された郡・郷・荘は、中世を通じての所領単位となって維持され、中世史の舞台となるのである。本節では京都平野における荘園の形成を跡付け、さらに連動して推移する政治的動向を述べていくこととする。