第二節 鎌倉幕府と京都平野

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 治承四年(一一八〇)の源頼朝(みなもとのよりとも)の挙兵から、元暦二年(一一八五)の平氏滅亡に至る内乱は、北部九州の支配構造に大きな変化をもたらすことになった。前節で述べたように、平氏は九州を統括する大宰府を抑え、原田種直(はらだたねなお)をはじめとする大蔵氏ほか、山鹿(やまが)氏・粥田(かゆた)氏などの有力府官を軍事的に糾合していた。また宇佐宮や安楽寺(あんらくじ)などの伝統的荘園領主もまたその与党であった。京都平野の勢力分布はまさに平氏政権を支える構造となっていたから、同氏の滅亡は直接に間接に大きな影響をもたらしたのである。鎌倉時代における秩序がいかに形成されたのか、以下に概観していくこととする。