大友親繁の豊前侵攻

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 文明元年(一四六九)、大友親繁は自ら軍勢を率いて、大内政弘勢の手薄となった豊前国や筑前国などに攻め込んだ。繁成(しげなり)氏、片山氏、富来(とみく)氏ら数千騎が豊前国宇佐郡龍王城(りゅうおうじょう)(安心院町)に陣取り、中津陣糸原口(所在地不明)において仲津郡在住の城井秀房(きいひでふさ)や規矩郡長野行種(ながのゆきたね)らを討ち破り、一カ月ほどで東豊前を支配下においた。
 七月一二日付で将軍足利義政から大友豊後守親繁へ宛てられた御内書(ごないしょ)に、「豊前肥前筑前三国の所々の城を攻落し合戦にいたったことは、比類ない忠節である。速やかに長門国、周防国回りへの計画の実施に移すように」と記している。