前将軍義稙の上洛

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 明応八年(一四九九)の冬、前将軍足利義稙(よしたね)は管領細川政元と対立し越中へ逃れ、朝倉氏の応援を得て、入洛しようとしたが、近江国坂本で六角高頼(たかより)に敗れ、河内国へ遁れさらに大内義興を頼って山口へ下向した。大内義興は領国を固めてから義稙を奉じて上洛しようと考えた。将軍足利義澄(よしすみ)と細川政元は、少弐、菊池、阿蘇、大内高弘ら大名や国人衆に呼びかけ、義稙・義興の上洛阻止を画策した。これに応じて大友親治は豊前国に侵入を開始した。