防戦する佐田泰景

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 永正二年(一五〇五)七月付にて、佐田泰影(やすかげ)から大内義興へ提出された「軍忠状」には、その前後の豊前国における状況が詳しく書き残されている。
 明応七年(一四九八)一〇月二日に大友親治(ちかはる)勢は宇佐郡佐田庄に攻め入り、佐田忠俊(ただとし)軍は菩提寺に籠城した。二日より八日まで持ちこたえたが、九日の晩に飯田但馬守の宅所(館)も戦場となった。翌一〇日は終日矢を射合い、被官の者が数人傷を負った。一三日に大内から援軍が到着し飯田山や佐田山などで戦ったが、敗れて退散し、大友勢が宇佐郡を制圧した。