妙見岳城の合戦

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 明応一〇年(一五〇一)正月五日に豊前国奪還のため、長門国に遁れていた宇佐郡衆に渡海することと御奉書が出された。一三日には佐田泰景の名代佐田左衛門大夫は人数を率いて船で出発し、中津川(山国川)に着岸した。二九日には妙見城を奪還した。一三日の渡海の折、神代(こうしろ)紀伊守から、大内方の軍勢が不足しているので佐田泰景にも渡海するよう催促があった。この時「御前勢」と記されているので、大内方は義興の直轄の軍であったと見られる。二九日に佐田泰景は催促に従って中津川に上陸した。二月九日には築城郡本庄の城井城(本庄城)を攻略して、城井弘房(きいひろふさ)の弟城井日向守直重(きいひゅうがのかみなおしげ)を討ち取った。