文亀(ぶんき)元年(一五〇一)閏六月二四日、仲津郡沓尾崎(くつおざき)で大内勢と大友勢は激戦を繰り広げている。
大内勢は武将仁保左近将監護郷(にほさこんしょうげんもりさと)が戦死した。仁保興棟(にほおきむね)から広中兵部丞への報告によると、仁保護郷に同道した一所衆や家人のうち三四人が戦死、三〇人が矢、槍、刀傷を負っている。負傷者のうち二六人が矢疵(やきず)であることから、海戦だった可能性が高い。
大友方の波津久忠兵衛尉(はづくちゅうべいのじょう)は沓尾崎合戦で負傷して帰宅した。大友親治は波津久忠兵衛尉をねぎらって恩賞を与えた。幸野右京亮へは葛木藤右衛門尉の負傷をねぎらっている。