密集する寺社

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 明応四年(一四九五)九月二八日付で大谷本願寺釈実如から慶善へ宛てた「浄喜寺号書下裏書」は、浄喜寺(じょうきじ)創建時の事情を物語るものである。この時、浄土真宗の浄喜寺が創建され、豊前国における同教団の拠点となった。
 永享(えいきょう)一一年(一四三九)には、元永に周防善福寺の末寺光福寺や天生田荘の公文安東助阿を願主とした願成寺があった。
 永享八年(一四三六)一二月一四日銘の梵鐘を持つ妙見宮の名も見られる。
 享禄三年(一五三〇)には福島氏、村上氏など六党と称される今井の住人が祇園祭で連歌会を始めた。連歌会は今日まで続けられている。