天文一八年(一五四九)に京都の下級公家である真継久直(まつぎひさなお)が勅許を得たとして、諸国の鋳物師(いもじ)から公事役(くじやく)を徴集する権限を各国守護大名に認めるよう働きかけるという事件が起こった。大内義隆はこれを保証し、分国内の鋳物師からの税徴収に利用している。分国の守護代へ、守護代は各郡代へそれぞれに令達している。京都郡および築城郡については守護代杉重矩から郡代内藤左馬助へ、仲津郡については郡代木部内蔵丞へあて通達をだしている。
今井津金屋、小倉鋳物師や筑前芦屋鋳物師など全国的な傾向として金属加工の人々が都市に集まり生計を立て始めた。このような傾向がこの事件の背景となったのであろうか。