大内義隆、菊池義武を支援

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 大内義隆(よしたか)と大友義鑑(おおともよしあき)の衝突は、享禄四年(一五三一)の大友分国筑後国に侵入した菊池義武を大内義隆が加勢したことに始まる。これに対して大友義鑑は、肥前国の多久で逼塞していた少弐資元(しょうにすけもと)を担ぎ出して、旧領筑前国へ侵入させて大宰府を落とし入れさせた。大内義隆はこの機をとらえて、大友氏の筑前領糸島と立花城を接取し、国東を遁れて亡命生活を送っていた田原親董(たはらちかただ)に預けた。
 大内義隆は豊前国、筑前国、肥前国など九州への書状には少弐対策として大弐多々良を名乗る。
 
写真9 大内義隆画像
写真9 大内義隆画像
(山口市 龍福寺所蔵)