公方義晴の講和斡旋

89 ~ 89 / 898ページ
 天文四年(一五三五)、公方義晴(くぼうよしはる)の講和斡旋を筑前国秋月種方(あきづきたねかた)らが仲介した。杉伯耆守、同美作守が秋月へ下向し、両家「倍もって無二」の約諾が成立し、九州の動乱は鎮まった。筑前国の糸島、立花城近辺は大友氏に返還され、両家の関係は大内氏が滅びるまで持続した(『犀川町誌』)。