義隆と国人衆

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 天文三年以降、大内義隆から豊前国の国人衆は、領地の安堵を受け、両者の間は良好であった。恵良隠岐守へ京都郡吉田荘他を、宇佐道明は京都郡今久他を、大神秀盛(おおがひでもり)は京都郡吉田荘の一部を、また、藤原実治(ふじわらさねはる)は仲津郡大橋村小部野を安堵されている。西郷氏や安東氏らの名も見える。
 西郷氏は犀川町大村を本拠とした国人である。天文三年に大内義隆は幕府へ西郷家頼を対馬守に推挙している。
 安東氏は鎌倉時代末期天生田庄の地頭代官であった。安東興俊(あんどうおきとし)はその子孫である。安東興俊は仲津郡代であったとの指摘もある。