目次
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第三編 中世
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第一章 中世行橋市域における歴史的動向
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第五節 応仁・文明の乱と大内政弘
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五 国人衆と宇佐宮
中臣郷と宇佐宮
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応永二五年(一四一八)に始まった宇佐宮造営ならび神事の再興事業を受けて、「仲律郡(仲津郡)内中臣今男八丁」が応永二六年(一四一九)八月一〇日に大内盛見(おおうちもりみ)から宇佐宮常灯料として寄進された。その後(文明一六年頃)、仲津郡中臣(なかとみ)今男名の八町は宇佐大宮司安心院公増(あじむきみます)から子の公重(きみしげ)を経て万徳房(まんとくぼう)の灯油料所になっている。