大内義長の自害

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 後見人を失った大内義長政権は、毛利元就の策略に翻弄され、周防国、長門国、筑前国、豊前国の分国(ぶんこく)は、弘治元年末には無政府状態になり、影響力を失った。
 豊後国へ逃れる途中、長門国長府の長福寺(ちょうふくじ)で自害し、弘治三年(一五五七)四月三日、名実ともに大内氏は滅び、周防、長門両国は毛利元就の支配するところとなり、北部九州(筑前国、豊前国)進出の足がかりをつかんだ。