義長の豊前国支配

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 大内義長は領国の安定を計るために、安堵状を頻繁に発給(はっきゅう)した。天文二一年(一五五二)九月一五日に楞厳寺(りょうごんじ)慶友首座に大内義興及び大内義隆に安堵された楞厳寺領を、天文二一年一一月九日には西郷隆頼(さいごうたかより)に父西郷家頼(いえより)が大内義隆から安堵された所帯を安堵している。天文二二年(一五五三)閏正月一五日には温科(ぬるしな)彌左衛門盛長に大内義隆から安堵された京都郡屋山(ややま)(矢山および福丸)を安堵している。さらに相続に対する承認も積極的に行っている。