城井右馬助の宅所へ放火

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 弘治三年(一五五七)五月一八日、秋月文種に呼応して城井左馬助の宅所(仲津郡木井馬場)へ山田安芸守隆朝、仲八屋宗種(なかはちやむねたね)らが攻め寄せ一帯に放火した。大友宗麟は杉因幡守や城井左馬助、佐田隆居(さだたかい)らの「一意之衆」に、仲八屋、山田衆以下の悪党を撃退するように命じた。城井左馬助は八屋氏とともに、仲八屋衆や山田衆以下の悪党を撃退し、頸一三を討ち取った。
 大内氏重臣であった杉因幡守隆哉は、六月一日に大友加判衆田原親賢(ちかたか)、木付鎮秀(きつきしげひで)に宇佐郡妙見岳城を明け渡し、上毛郡広津城に入った。六月一八日には山田衆が広津城を攻め、杉因幡守隆哉らが応戦している。