田原親宏率いる豊後勢は弘治三年(一五五七)七月三日には仲津郡に攻め込み、七月四日に京都郡馬ヶ岳城を攻めて、城督ヨシカイ(吉開)、城督美奈木甲斐守、その他秋月衆一〇〇人ばかりを討ち取っている。一方で、大友勢も松木甲斐、萱島などの家臣を失った(永弘文書)。佐田弾正忠隆居や足立清兵衛尉などへは、馬ヶ岳小城合戦の活躍に対し、大友宗麟から感謝状が贈られた。勝利したものの心もとなく感じた大友宗麟は、田原常陸守、木付紀伊入道ら加番衆に対して、加勢の衆を送ることや城米や黄金五〇両を与えて守備を固めることを命じている(加来八太郎文書)。