目次
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第三編 中世
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第一章 中世行橋市域における歴史的動向
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第六節 毛利と大友の抗争と戦国時代
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三 大友義鎮の絶頂期
田原親宏、京都郡に出陣
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その後も、北部九州進出を目する毛利元就の影響は消えず、肥前国、筑前国、筑後国、豊前国では小競り合いが頻発している。
永禄(えいろく)元年(一五五八)六月二八日、田原親宏は京都郡(行橋市、苅田町、勝山町)へ出陣、さらに、翌二九日には企救郡小倉を攻め、地下人の頸二八〇を取って、築城郡の別府(べふ)へ帰陣した。
永禄二年(一五五九)正月、竜造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)は少弐冬尚(しょうにふゆなお)を攻めて自刃させた。ここに少弐氏は消滅した。