波多野興滋親子討ち取られる

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 波多野大和守興滋(はたのやまとのかみおきしげ)が守る門司城、杉連緒(すぎゆきつぐ)が守る香春岳城、麻生隆実が守る花尾城(はなおじょう)(八幡西区)がまだ落城していないので、早急にこれらの城を攻略せよとの催促の書状が永禄二年(一五五九)八月二六日付で大友義鎮から原田親宏へ出されている。永禄二年九月二日に、佐田隆居(さたたかい)、安心院興生(あじむおきお)両名に馬ヶ岳城番を命じ、一方で、田原親宏、田原親賢(たはらちかたか)両名を門司城、花尾城の攻略に向かわせた。九月二六日、両田原を主力とした豊後勢は門司城を攻略し、城督波多野大和守興滋とその子波多野兵庫丞を討ち取った。一〇月には豊前国制覇がほぼ完了したと言えよう。