目次
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第三編 中世
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第一章 中世行橋市域における歴史的動向
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第六節 毛利と大友の抗争と戦国時代
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五 反大友抗争と毛利の動向
大友家の弱体化
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大友氏の衰退は、天正六年(一五七八)一〇月、日向国(宮崎県)耳川で島津勢に大敗を喫し、田北鎮周(たきたしげちか)、佐伯宗天、吉岡鑑興(よしおかあきおき)ら加判衆を戦死させ、田原紹忍も負傷するなど多くの重臣を失った。この頃から宗麟のキリシタン政策に批判的な奈多八幡宮神職奈多氏ら重臣たちとの間に溝が生じ始めた。さらに、義統の政策の失敗などが原因となって、大友氏は弱体化し始め、大友氏の支配から独立しようとする豊筑の国人衆の動きが再燃する。