福原貞俊の取り成し

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 一方で毛利輝元は、杉元良に対して杉重良の一家断絶を要求するなど厳しい対応であったが、松千代(まつちよ)の母と福原貞俊の嘆願によって杉家断絶を免れた(杉文書)。松千代(杉重良)の母は毛利家重臣福原貞俊の娘であったことが幸いしたようだ。
 一方で『筑紫軍記』によれば、天正七年三月三日に、高橋鑑種勢は築城郡椎田において杉重良を討ち取ったことになっている。