豊臣秀吉は黒田官兵衛と宮木宗賦に、毛利分国のすべての勢力は早々に関門海峡を渡ること、さらに、門司と下関の間は重要な通路なので城など拵えてしっかり守るよう指示を出している。兵はまず筑紫表へ進め、人質をとり、豊前国門司城、筑前国帆柱城、同山鹿城、同蔦ヶ岳城に毛利勢と兵糧(ひょうろう)を送り込んで、島津軍と対峙していた糟屋郡立花山城と筑紫郡宝満城の維持確保の体制を整えた。九月に入って、黒田官兵衛、宮木宗賦、安国寺恵瓊が立花城に入り、毛利勢に立花城を守らせ、豊臣秀吉の大宰府までの通路の確保に目途をつけた。