豊臣秀吉、小倉城に入る

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 天正一五年(一五八七)三月一日、大坂を出発した豊臣秀吉は、三月二八日に豊前国小倉に入った。軍評定(ぐんひょうじょう)を行って、全軍を二手に分けた。秀吉の弟大和大納言秀長(やまとだいなごんひでなが)を大将として、黒田孝高、毛利輝元、小早川隆景、吉川元春、長宗我部ら八万の軍が豊後国を通って日向へ、もう一手は秀吉自ら畿内北陸の軍勢一〇万余を率いて筑前、筑後、肥後へ向かうことが決定した。