第二章 中世京都平野の人々と暮らし

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 一章でその概略を述べたように京都平野には平安後期以降、律令(りつりょう)制的な郡(ぐん)や郷(ごう)といった制度が崩れ、荘園(しょうえん)・郷・村・名など中世的な支配単位が数多く成立した。人々はこうした荘園や郷に村落を営みつつ、多様な生業に従事していたのである。また国府(こくふ)の北東に近接し、かつ河川・海上交通の要衝を占めたことから、河口部には港湾が生まれ、次第に都市的な場へと成長していった。人々はこの平野内部に閉ざされていたのではなく、地域を越えて遠方につながり、頻繁に往来して交易を行っていた。こうした京都平野における人々の動向は、多くの歴史資料(古文書(こもんじょ)・遺跡・地名・伝承)の中に刻まれており、その情報量は周辺地域を凌駕している。本章ではこうした中世の動向を、行橋市域に密着する形で見ていくこととし、京都平野の中世像をより明確かつ詳細に示してみたい。そこで説明の都合上、本章においては全体を三つに分け、村落を中心とした生活像を第一節で取り上げ、続いて二節では港湾を中心とした生活・文化のあり方をさぐっていく。また三章では京都平野に点在する中世遺跡・遺物を検証することで、中世人の生活像を復原することを目指したい。