竹ノ下

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 竹ノ下という字名が殿屋敷に隣接してあるが、館・屋敷を囲繞していた竹林に由来すると考えられる。「一遍上人絵伝」に描かれた筑前国武士館(遠賀郡麻生氏館とする説がある)にも、竹林が描かれている。竹は日常に多く使われた。現代では想像しづらいが、竹は椀、箸、杯などの食器にもなり、柱、瓦など建築資材にもなり、物干し竿など生活用具、さらに矢・竹槍など武器にもなった。竹束にすれば弓はもちろんのこと、鉄砲の弾さえもはじく。加工すれば笊・ショウケ・網代塀にもなった。必要な日常品はみな竹でまかなえた。地頭など領主クラスの館には周囲に多く竹が植えられた。