ツクダという字名が大野井にある。地頭・下司のような領主自身が耕作経営する田をツクダ(佃)と呼んだ。地頭の田(佃)を用作、正作、御正作、御手作などともいう。地名としての用作(ヨウジャク)は稗田の字用尺、都留(前田)の字用尺など市内二カ所にある。地頭、下司は大規模農業経営主である。地頭館(おそらくは殿屋敷)には、多くの下人所従(家の子郎党)がいた。合戦のときには兵士になる。ふだんは広大な水田・畠を耕作していた。地頭下司はかれらの食事・生活の面倒をみるが、代わりに兵役や労働を要求した。大野井のツクダは下人所従が耕作する地頭経営の田がここにあったことを示している。大野井のツクダは川沿いにあって、行ってみると高い水田と一段低い水田部分がある。一帯はすべて二毛作田である。平年で反当たり八・九俵は収穫できた。高い部分にある方のツクダが本来の佃であり、中世には一帯で最も良い田であったと考えられる。
ツクダ地名は周辺では検地や草野にある。いずれも同様、検地・草野の領主が経営する田であろう。