市場

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 殿屋敷隣接地に市場という字名がある。「市場があったと年寄りから聞いたことがある」。そんな風に伝承もされている。中世にも「市場在家」と呼ばれる商人たちの屋敷があっただろう。市は殿屋敷に近接していた。店舗の商人は年貢の納入にも携わっただろう。
 王埜八幡神社前に広場(馬場)があったことはみた。月のうち三度ほどの市日には広場空間に露天商が集まって、三斎市が開かれた。店を持つ商人と、定期市に集まる露天商の両者から、市は構成されていた。
 八幡神社後方の位置に市場が設定されていた。井尻川や今川の水運に関係するといえよう。中世における井尻川流路を確定できないが、現在、周防灘の干満の影響を受けて、大潮には長峡(ながお)川合流点まで潮汐が上がってくる。ここには汐留でもある杭根(くいね)井堰がある。一方今川は現在の河道よりもはるかに南大野井・園田に近接していた。井尻川を下っても、今川を下っても仲津郡大橋津に出ることができた。大橋は長峡川と今川に挟まれている。
 周辺地域に市場地名が残存するのは今井津の今井市場、旧仲津郡では大村市場(以下犀川町)、木井馬場(市屋敷)、帆柱村市場(市場屋敷)、山鹿市場(市屋敷)、旧京都郡では宮市(行事・草野にも字宮市)、ほか苅田市場(以下苅田町)、南原市場がある。地理交通上の与件によって、市の場所は決定される。右の多くのものは中世以来の市場だった。