沓尾崎城

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 『京都郡誌』は『豊前古城記』を引用して、久津尾崎城の所在を「根津浦にあり」と記し、さらに、そのいわれについて記している。しかし、現地の確認ができない。さらなる調査を要する。
 文亀(ぶんき)元年(一五〇一)閏(うるう)六月二四日、大友勢と大内勢が豊前国の覇権をかけて馬ヶ岳城や沓尾崎(くつおざき)で合戦を繰り広げている。沓尾崎の合戦では双方に多数死傷者を出している。この合戦即城郭の建築との発想によるものと推測される。