覗山城

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 『豊前国古城記 安政六年写』に「城跡一ヶ所 下馬場のノソキ山」の記載がある。行橋市大字稲童(いなどう)と大字馬場の境にある覗山(のぞきやま)頂(一二三メートル)に所在する。山頂には十数個の郭、畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)、堀切など城郭遺構が残っている。第二次世界大戦時の遺構やアンテナ敷設工事などで一部欠損した所がある。
 文明八年(一四七六)七月二三日付で大内政弘から門司彦九郎へ宛てた軍忠状に「去五月二十九日、豊前国除での合戦の時、疵をされたことは神妙である」と除(のぞき)の合戦での負傷を労っている。除も覗も「のぞき」と発音されることから、除は行橋市大字馬場字覗すなわち覗山に当てることができる。軍忠状には山城の所在は記していないけれど、現地の状況を加えて判断すると、文明八年には山城が所在していたと考えられる。
 
図1 覗山城縄張図
図1 覗山城縄張図(筆者作図)