『豊前国古城記 安政六年写』に「陣場(じんば)一ヶ所佐伯 天生田(あもうだ)村に佐伯陣(さえきノじん)」と記している。行橋市大字天生田に佐伯陣の字がある。昭和五一年に発刊された『行橋市の文化財』は、ここを天生田城としている。字佐伯に城跡は確認ができない。陣跡と城跡は区別した方がよいのではなかろうか。
馬ヶ岳城合戦の関連として文亀元年八月一三日、大内義興から門司弥次郎へ宛てた感謝状に「佐伯陣に最前を尽くし駆け上がったこと、杉木工助弘より報告を受けた」と記している。佐伯陣はこの時以来の地名であろう。