尾倉山城

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 『豊前国古城記 安政六年写』には「掻揚げ 一ヶ所岩熊村の内尾倉山」と記している。土塁で防備された主郭と幅四~八メートルの腰郭が二段などで設けられている。全長約一〇〇メートルである。
 貞治五年(一三六六)六月付で少弐冬資から門司親長に宛てた軍忠状に「右宮方武光以下襲来之間 四月十日自長州渡海仕致宿直自分 去九日岩熊城同十一日伊田城御合戦之時致忠節まで」と記している。
 永禄一二年(一五六九)七月三日付で大友宗麟から長野三河守に宛てた書状に「前二十八京都郡之内於岩熊村的楯籠候之處 助守以人数被取懸宗徒之者数輩被討捕之由注進到来候」と記されている。