西郷要害、不動ヶ嶽城(ふどうがだけじょう)、大村城ともいう。犀川町大字大村字城山(じょうやま)に所在する。大村集落の北側の丘陵にある。主郭と腰郭を横堀で防備している。低い土塁が巡る主郭は東西二二メートル、南北四三メートル、主郭を防備する横堀は広い所で幅五メートルである。『豊前国古城記 安政六年写』には「大村の内不動ヶ嶽 右は西郷刑左衛門高頼(隆頼)と云う者城主なり 興正寺へ参詣の時長野祐盛押寄討取 墓所興正寺に是有 城井旗下とも云う」と記している。場所に関しては是としても、興正寺へ参詣以下の記事は検討を要する。
永禄二年(一五五九)一〇月九日付で田原親宏から田代弥七郎へ宛てた手紙に「今度豊前国へ出発の時、小倉津ならび西郷遠江守隆頼要害での合戦では良く戦った」と記されている。この西郷遠江守隆頼要害は永禄二年の大友勢と毛利勢の激戦地であり、西郷城のことである。この戦いに破れた西郷隆頼一族は、毛利の庇護のもと周防に逃れた。