犀川町大字大坂(おおさか)字飯岳(いいたけ)の飯岳山より東へ延び、仲津郡と京都郡境をなす尾根筋、飯岳山頂より約七五〇メートル離れた標高四七三メートルの峰から約五〇〇メートル先の標高四六六メートルの峰の間に約二〇郭、堀切、畝状竪堀群が所在する。ここは犀川町の大坂集落の真上に位置している。
従来、飯岳山には城址がないにもかかわらずここを大坂山城とされていた。彦山関係資料には飯岳宿と大坂山宿を書き分けている点や、大字大坂の小字のなかに字飯岳と字大坂山とがある点などから、今回確認の山城を大坂山城とした方がよいと考える。また、インシュウ城と呼ばれた城も、次にあげる文言から、これに当てるが望ましい。
某覚書案(到津文書)の永禄一一年六月二〇日に「都郡(京都郡)大坂山ヲ杉因幡守西郷両人而取誘候、是又せメ被落、杉領も西郷毛向参候」と記され其の存在が確認できる。