辻垣集落北東側の沖積地に立地する、古代末から中世前半期にかけての集落遺跡である。
平成一三年度に、県営ほ場整備事業(元永地区)の工事に先立ち、行橋市教育委員会が発掘調査を実施した。標高は八~九メートル、調査面積は四九〇〇平方メートルである。
発掘調査区域の大部分は祓川などの氾濫原とみられ、一二世紀代の井戸跡二基・掘立柱建物跡一棟などを調査区南端で検出するにとどまったが、井戸跡からは、瓦器および土師器の〓が四枚重ねられた状態で見つかっており、井戸を使わなくなった際の儀礼であると考えられる。〓の大きさは、口径一六センチメートル前後、高さ五センチメートル程度、底径六~六・六センチメートルである。
また、流路跡からは、緑釉陶器片・白磁(小壺)・土師器(小皿)・瓦器(〓・小皿)などの遺物が出土した。白磁の小壷は完形品で、口径二・九センチメートル、高さ四・五センチメートル、底径三・六センチメートルである。
本遺跡で出土した遺物は、河川の氾濫などによって二次的にもたらされたものであると考えられるが、緑釉陶器や完形の白磁小壺等の出土遺物から、付近に居館などの施設が存在していたと推察される。