馬ヶ岳から北へ派生する丘陵先端の裾部に位置する。平成七年に大谷天生田地区の圃場整備事業にともない約三〇〇〇平方メートルが調査された。
平安から鎌倉時代の建物跡、井戸、土坑、地下式壙、溝などが検出されているが、それ以外に弥生時代の住居跡と古墳時代の溝などがある。
建物跡と推定される四メートル×九メートルの方形上坑からは硯や龍泉窯系青磁の良品が出土している。当遺跡の周辺には鎌倉期から戦国期の天生田荘があり、これに関係する遺構とも考えられる。なお、遺構の上面にも中世の包含層が認められ、西側の丘陵上にもこの時期の遺構の存在が予想される。
出土品には、中国産の青磁、白磁、国産陶器、瓦器、土師器、漆器、硯、五輪塔、挽臼、砥石、石鍋、井戸枠、曲物、桶、下駄などがあり、これらの出土遺物も本遺跡および周辺に上層階級の屋敷などが存在したことを推定させられるものである。