馬ヶ岳から北へ派生する丘陵の先端部に立地する。平成九年に大谷・天生田地区の圃場整備事業にともない約五〇〇〇平方メートルが調査された。
弥生時代の住居跡一、古墳時代の住居跡六、奈良時代の官道と推定される遺構などがありその後、平安時代から鎌倉時代にかけても集落が営まれていたようで、井戸跡、溝、連続楕円ピット(波板状凹凸)などが検出されている。井戸からは下駄などの木製品も出土した。
出土品に占める中国製輸入陶磁器の割合が比較的多いこと、短刀を副葬した土壙墓が検出されたことから、この集落で生活していた人々はある程度上位階層の人々であったと考えられる。
連続楕円形ピットは南北方向に一〇列以上確認されたが、方位を異にするものも若干存在する。この遺構は道路遺構とされる事例が多いが、本遺跡においてはまだ検討を要す点が多い。