長峡川左岸の標高約二二メートルの丘陵上に立地。平成五年、稗田小学校グラウンド拡張に伴い、約一六〇〇平方メートルが発掘調査され、弥生時代中期と中世の遺構が確認された。現在は真言宗大吉寺が建っている。
中世の遺構としては、地下式壙二基、土壙墓二基、竪穴状遺構一基、掘立柱建物跡一棟以上、土壙、溝、柱穴多数が検出された。
1号地下式壙は、機械による表土削平時に天井が崩落。竪坑の高さ一八〇センチメートル、入口径九〇センチメートルで、竪坑の北側に地下室を設けている。地下室の推定高約一二〇センチメートル、下部最大径二三〇センチメートル。壁面に工具による掘削痕が見られた。床面からは火を受け赤化した石臼や五輪塔(火輪)が出土した。2号地下式壙は、同じく竪坑の南側に地下室が設けられていたが、天井はすでに崩落していた。地下室径は一八〇センチメートル。上部に花崗岩製の一石五輪塔が墓塔として設置されている状態が確認された。
1号土壙墓は一二〇×六三センチメートルの長方形で、青磁碗(龍泉窯系)、鉄刀、土師皿が副葬されていた。2号土壙墓は一二〇×八五センチメートルの長方形で、青磁碗(同安窯系)、刀子、瓦器碗が副葬されていた。
遺物はその他に石鍋、砥石、青磁碗、白磁碗、擂鉢、土鍋、土師器、瓦器が出土した。
本遺跡は遺構と遺物から、一二世紀後半~一六世紀頃であると考えられる。